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センター概要

沿革 〜都立梅ヶ丘病院と斎藤茂吉〜

沿革〜都立梅ヶ丘病院と斎藤茂吉〜|センター概要

都立梅ヶ丘病院跡地についての沿革

<出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 >

 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月、斎藤茂吉(※)が経営する私立の精神病院であった青山脳病院が東京都に譲渡され、「東京都立松沢病院分院」として診療を開始しました。
その後、1948年(昭和24年)4月に児童患者の入院を開始し、1952年(昭和27年)11月に「東京都立梅ヶ丘病院」となりました。1974年(昭和49年)6月には、小児専門病院としての性格が明文化されました。

 病院は2010年(平成22年)3月、東京都立清瀬小児病院・東京都立八王子小児病院と統合され、東京都立小児総合医療センターとなったことで閉鎖されました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/東京都立梅ヶ丘病院

 (※)斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日- 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、「楡家の人びと」(にれけのひとびと)は、北杜夫作の長編小説。随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤茂吉

敷地内には石碑があります

石碑(右)内容

茂吉われ院長となりいそしむを
世のもろびとよ知りてくだされよ

茂吉

石碑(左)内容

 大正15年に港区南青山から当地に移設された青山脳病院は、昭和2年から同20年まで、斎藤茂吉氏が院長として運営にあたられたが、同20年東京都に移管され、新たに都立松沢病院分院として発足した。
 その後、昭和27年に松沢病院より独立して都立梅ヶ丘病院となり、心病む小児の専門病院として今日に至っている。
 ここに院内施設の全面的増改築が完成したことを記念して、この碑を建立する。

昭和62年3月
東京都

石碑(右)内容

茂吉われ院長となりいそしむを
世のもろびとよ知りてくだされよ

茂吉

石碑(左)内容

 大正15年に港区南青山から当地に移設された青山脳病院は、昭和2年から同20年まで、斎藤茂吉氏が院長として運営にあたられたが、同20年東京都に移管され、新たに都立松沢病院分院として発足した。
 その後、昭和27年に松沢病院より独立して都立梅ヶ丘病院となり、心病む小児の専門病院として今日に至っている。
 ここに院内施設の全面的増改築が完成したことを記念して、この碑を建立する。

昭和62年3月
東京都

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